最近、松尾先生の「開発と法」の授業が楽しいです。
楽しいと言えば、六車先生の環境法も、和気先生の国際経済論も、楽しいけど。
これらの授業の何が楽しいって、自分が最近考えてることとリンクしていて、おもしろいくらいに考えが重なったり、自分が発見出来ていなかったところが見えてくるからです。
時間かけて悩んでたのに答えが見つからなくて、だけどその答えというか、今の段階で学者の視点で分かっていること等が翌日の授業などで教えられてしまうと、なんだー。。。って残念に思うこともあるけどね。
まあ、なにをそんなに考えてるかって、世界の競争が激化したらどうなるんでしょう、ってことです。
国のボーダーについて。もし自由な競争が世界中で起きたら、つまり、関税とか参入規制とかがなくなったら、競争は激化するじゃないですか。そうすると、もう国って存在意義がなくなると思うんですよ。自分が自分の事業とか仕事とかを一番やりやすいところにいって、金を稼ぐ体制を整えると。そうなると、基礎的なインフラが整っていればどこに経営陣がいようと勝手。だから、LAみたいな場所で会議とリラックスの時間とのめりはりをつければいいようになるだけで。その一方で、もし製造業とかだとすると、賃金が安いところに工場つくって、需要ありそうなとこに製品をおくりこめばいいだけ。しかも、地球上の土地って公平に作られてるわけじゃないから、資源国とか本当に不利な不毛な土地とか、山が多いとことか、熱いとこ寒いとこに分かれてて、そういう土地の特徴に合わせられた職業しか存在しえなくなるのでは。そうなると、世界は大きな分業工場にしかみえなくなってくるのではないでしょうかねー。
だとすると、国という概念はただ土地の上に存在するだけで、政府なんてのはあんまり存在意義がなくなるんじゃないかな。
そんなのつまんないわーどうしよーそうなったら私は人生の中で何を幸せとしてどこにうつりすんでどんな生活をしようかなー、なんて妄想してみたり。
そう考えると、政府って、セーフガードとか発動したり、自国の産業の発展と公共の福祉を達成するために大きな役割を果たしてるんだなーっておもった。
その国家のやるべきこととして、次に教育の機会について、ね。これもよく、授業のなかで話題に挙げられてたテーマです。
まあ、私もアメリカの大学院に進学したいと思って、いろいろ調べて来たわけですよ。
そうして発見したのが、授業料がバカ高い!ってこと!しかも日本にある奨学金なんて結構少ないし、日本はIMFとかにお金だしてアジアの学生に教育の機会を与えることに力入れてるように見えるし、アメリカ国民じゃないからローン組めないし。
結局、お金って自分で稼がなければ自由な意志選択権もないのね、ってことを感じておりました。
教育の機会ってのは家庭環境で結構左右されることが多いにあり得ると思う。例えば、大学受験をするにしても、東京の有名な学習塾みたいなのは、なにしろ通っている生徒の層が違う。勉強って結構、周りの人からの刺激と、外部の圧力とかプレッシャー、噂をはねのける力が重要だと思うんだけど、そういうものはベストなものがそろっていると思う。いままでの傾向を熟知した先生が、個別に生徒に指導してくれたり、なにしろまわりの頑張りようが、がむしゃらというのではなく、効率が良いというかんじ?それに追加して、今までの先輩の合格歴とか見ても、無駄に自分はできないかもしれないという恐怖感にうなされることがなくなるんじゃないかな。なんか、見ているレベル、周りの目指すレベルが違えば、自分もそれにあわせられるようになって、いつのまにか自分もその一員になれているような?正式に一般受験を経験していないけど、fit受ける時もなんとなく後押しをもらえた気がします。
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